日記・コラム・つぶやき

2016年9月 8日 (木)

今年は異常な台風群!

この夏は何故「無気力症」を発症してしまったのか?・・と考えていると、歳や暑さや、天候不順等で好きなカメラいじりが出来なかったからだ!・・・ということで一応納得したのだが、只の天候不順ではなく、経験したことも無いような異常なパターンでホッとする間も無いくらいにやって来る台風のお陰ですっかり調子が狂ってしまったことも原因の一つだ!・・・と思い当たった。

今年は台風1の発生が78と遅かったせいで、各地で水不足が心配されていた。 だが、それから立て続けに台風が発生し、どういうわけか台風5以降の大部分が関東をかすめて東北・北海道を集中的に襲って大被害をもたらしてしまった。

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台風5が房総沖を通過、我が北総地域にはあまり影響せず北海道東方沖へと去って行ったので、翌日10日は予定通り孫達と過ごす予定の龍王峡の山の家に出かけた。

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孫たちと過ごす準備を整えた後、山野草を撮って遊ぶ。
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コバギボウシ

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ハエドクソウ
 
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ボタンズル
 
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ツリガネニンジン
 
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ツリフネソウ
 
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フシグロセンノウ
 
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シデシャジン
 
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キンミズヒキ
 
 812日~16 
やって来た孫たちは、翌日「キャニオニング」という渓谷歩きに出かけ爺婆は留守番。14-15日はキャンプ場での「バーベキュウ」や「観光ヤナ」等を一緒に楽しんだ。

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孫たちを見送ったこの日、台風7が九十九里から鹿嶋灘をかすめて北海道を伺っていたので、山の家の後始末を終えて17日に帰る予定を1日延ばして18日にした。

同時期に小笠原周辺で三つの台風が発生!
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台風11が一足早く房総沖を通過し、北海道に上陸して大災害をもたらした!

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続けざまにやって来た台風9は南房総に上陸して我が北総地域を直撃! 
幸運にも植木鉢が数個棚から落ちた程度で大過は無かったが、久しぶりに聞いた猛り狂う風の唸り声が怖かった!

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迷走台風10が勢力を増して銚子沖を通過した後岩手に上陸、東北・北海道に大災害をもたらした!

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その後発生した台風12は今年初めて九州方面に接近、やがて衰えて熱低になったが、西日本に台風が来るのは今年初めてとは不思議なこともあるものだ!・・・と思った。 

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明日は又台風が来ると言うので、咲き出した庭のサクラタデを風が強くならぬ内に記念撮影
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咲き出したサクラタデ
 
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部分的に切り抜いて拡大したサクラタデ
 
そう言えば1か月前に狂い咲きしたことを思い出しその写真を探してみたのが
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88日のこの写真! 
どうしてこんな早く綺麗に咲いたのか不思議!

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台風13は紀伊半島沖で熱低になったが、各地に大雨が降り警戒が続いている。

これまで13の台風が発生し、その内5が上陸、4が接近したので7割の台風が日本に被害を及ぼしたことになる。 
こんなことは今まで経験したことが無いので驚くばかり、自然の猛威は予測不能で恐ろしい!
 

2015年10月 8日 (木)

15年前の写真の謎解き!

先日北総花の丘公園に行って赤い蕎麦の花を撮ってきた写真をブログに掲載したところ、「ウェブでここの記事を読んでお誘いしようかなと思ってた公園でした。10年くらい前に行った時は蕎麦の花が盛りを過ぎてて残念でした。ここはコスモスも楽しめますね。」と友達からコメント!

ふとその時思い出したのが昔あの辺りにコスモスを撮りに行ったこと! あの時のコスモスのイベント会場がこの公園と関係あるのかなあ?・・・と当時の写真の記録を探してみることにした。 

写真原画を収納してあるHDDを「印西」という地名で検索して出てきたのは
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この200010DSC-F505で撮った写真。
小高い所から撮ったこの広大なコスモス畑は何処だろ?
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畑の中に入って撮ったようだ。
 
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あの辺りは今ビルだらけなのに閑散としている!
 
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これを見て、畑の入り口に並んだ屋台がにぎやかだったことを思い出したが、それにしてもここは何処だったろう?
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コスモス畑とは関係ないようなモダンな建物も写っていた。
これを見て、おや?・・と思った。
 
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というのはこの写真、一昨日随分モダンなのがあるなあ・・とあの公園で撮った建物だが、昔撮った上の写真の建物と全く同じであることに気付きびっくり! 
これって紛れもなく「北総花の丘公園」の「花と緑の文化館」じゃないか!

そういえば、おふくろの友達の作品展を見に行きたいとせがまれて訪れたのはここだったことを思い出した。

それならコスモス畑は何処だろう?
そこで写真のメタデータを参照し、時系列に並べると、20001021928931934939、そしてモダンな建物の写真は1023となっていたのだ。
つまり、コスモスを撮った時間と建物を撮った時間に約40分の差があるのでちがう場所だったと思われる。

コスモス畑はどの辺だったのか、手がかりが無いかと最初の写真を見ていて気が付いたのは丸い給水タンク。 これは今でもあるはずなので地図で探したら、それは
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この航空写真にある「北総浄水場のタンク」だと分かった!
ということは、当時のコスモス畑は印西牧の原駅の東の広い空き地辺りだったのだ!
 
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そしてこれが千葉ニュータウン中央駅近くの「花と緑の文化館」のある公園の場所。
 
あの時撮った場所がようやく分かって何だかほっとした気分になったのだが、あの建物があった場所がこんなに広大な公園になっているとは思いもよらなかった。

それにしても記憶力がほんとに当てにならないことが良く分かった出来事だった。
 

2015年8月14日 (金)

明日は終戦記念日!

明日は終戦記念日。 
毎日暑い日が続いて家に籠っていることが多いこの時期は あの忌まわしい戦争を忘れずに後世に伝えてゆこうとするTV番組が目に留まることが多くなり、当時を思い出して胸を締め付けられる思いがする。

家の前が板付飛行場だったこともあり、毎日のようにやってくるグラマン戦闘機B-29空襲の度に、幼い次男を背負って国民学校1年生の手を引っ張って逃げまどうおふくろや、 夜空を真っ赤に染めて燃え上がる博多の街の夜景、 ラジオの前で首を垂れ、正座して玉音放送を聴く静かで暑い日のおふくろの姿等、走馬灯のように瞼に浮かんで行く。

戦争が終わっても安心ではなかった。
 直ぐに飛行場に米軍機が多数やってきて、日本軍の残した飛行機を飛行場に並べ油をかけて焼却。 その時の黒煙は辺りが暗くなるほどだったことも思い出した。

走り回るジープの進駐軍の兵士に手を振る菓子めあての子供達の姿も思い出す。
 「進駐軍は何をするかわからない。女子供は避難した方が良い」という噂に怯え、おふくろは子供二人を引き連れ遠くの実家まで夜を徹して20km近くも歩き通した夜道の暗さも思い出す。

あのおふくろも3年前に亡くなった。 戦後70年と思うと「俺も歳をとったなあ!」と溜息が出てしまう。
それに比べこの猛暑にも負けず甲子園で奮戦している高校球児の元気なこと! 若いということは羨ましい限りだ。

暑いからと言って家に閉じ籠ってばかりでは益々衰えてしまうので良くないと思い、何処かに出かけようとした時思い出したのがキツネノカミソリ。 早速房総のむら風土記の丘に行ってみると、いつもあの花が咲く里山が丸坊主。 
お盆のころになると草刈りが入ることを忘れていた。

ともかく歩いてみることにしてしばらくすると
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このキツネノカミソリが咲いているのを見つけた!
でも枯草の中では折角の花の色が冴えないのでがっかり。
諦めかけていたら、古墳が点在する草原になっている風土記の丘の東側は緑が濃いので行ってみると
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古墳の麓でキツネノカミソリを見つけた! これは良い感じ!
辺りを見回すと好きな花が目に留まった。
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アキノタムラソウだ! 

収穫は少なかったがやはり外に出て汗をかくことは精神衛生上も良さそうだ。

2010年8月15日 (日)

終戦記念日に思い出すこと

今年は何時になく猛暑の日が続いて体がついてゆけない感じ。 お陰で写真を撮る元気もないのでこのPhoto日誌からすっかり遠ざかっている。

それでも終戦記念日が近づいてTVで毎日のように昔の戦争体験談や戦争の記録が放映されることが多くなると、未だ国民学校に上がるか上がらない幼い目に焼き付いた様々な当時のことを思い出して暗い気持ちにさせられる。

「悠然と飛ぶB-29の編隊」
あれは国民学校の1年生になったばかりの頃ではなかっただろうか、日々艦載機の機銃掃射が激しくなって、通学途上の生徒が犠牲になり出して学校には行かず、近くの農家の馬小屋が分教場だった頃の事だったと思う。 
空襲警報のサイレンが鳴って、真っ暗な夜空に幾筋もの探照灯の光が照らすスポットライトの中をウォーンウォーンと鈍いエンジン音を轟かせて悠然と飛ぶ銀色のB-29爆撃機の編隊を、「トンボが飛んでるみたい!」と防空壕の前の土嚢の上に登って眺めた記憶が今でも鮮明に蘇る。 成層圏を飛ぶB-29の姿が見えても高射砲の発射音がしないのを当時不思議に思っていたのだ。 当時の高射砲は成層圏までとどかなかったのだ・・と知ったのは物心ついてからだった。

「博多の町が燃えた!」
これも恐らく終戦の年、国民学校一年生の記憶だと思うが、 例によって空襲警報のサイレンが鳴って真っ暗な夜空に幾筋もの探照灯の光が交錯する中現れたB-29爆撃機の編隊がバラバラと焼夷弾を落とし始め、博多の町が見る間に真っ赤な炎に包まれていったのだ。
暗闇を真っ赤に染める炎と花火のように炸裂する焼夷弾の閃光と炸裂音、家の台所の窓から固唾を飲んで眺めていたこの情景は未だに瞼に焼き付いている。
何時だったか、「戦争と平和」の映画の「モスクワが燃える!」という1シーンを見ていて、ふと博多の町が燃えた時のことを思い出し感傷に耽ったことを思い出した。

「艦載機、グラマンの襲撃!」
これも終戦間際の事だったと思うのだが、 例によって空襲警報のサイレンが鳴ったのもつかの間、ズシーン、ズシーンと家を震わせる爆弾の炸裂音が近づいて来たのだ! 何時でも避難できるよう身支度を整えていた母に手を引かれ、先ずは庭に掘った防空壕に避難はしたものの爆弾の音はますます近くなって子供心にもその恐怖心は最高潮、乳飲み子を背にした母に手を引かれて100m程先の山の防空壕へ決死の脱出。
その途中、突如正面の山の上から超低空で現れたグラマン戦闘機の編隊に遭遇してしまう。 とっさにイモ畑に伏せた母に促せれて自分も伏せながらも飛行機が気になって見上げると、機体を離れて飛んでゆく黒い爆弾と、操縦席の風防の中に操縦士の顔がはっきり見えたのだ! 
この辺りまでは子供心にも余程強烈な印象だったのか記憶が生々しいが、「あの爆弾はなぜ下に落ちてこなかったのか?」と子供の頃はずーっと不思議でならなかった。
物心着いてから「何秒か後に爆弾の炸裂する轟音がして爆風で体が浮き上がり、生きた心地がしなかった・・と母から何度も聞かされた。

「特攻隊」 
米軍の攻撃目標だった板付飛行場の直ぐ前ということもあり爆撃や機銃掃射が絶えなかったが、子供心にとって憧れのような存在だったのが「特攻隊員」。
花や写真や日の丸の旗を飾った家の前で、頭に日の丸の鉢巻、襟元に白いネッカーチーフを巻いて敬礼をして家族や村人に見送られ、颯爽と軍の車で去ってゆく「かっこいい特攻隊員」を近所で何度か目にした記憶がある。
しばらくすると目の前の飛行場を飛び立った特攻機は自分の家の上空で翼を左右に振りながら何回か旋回し、やがて何処かへ飛んで行った。 それが又子供心には「かっこいい!」と憧れの的だった。
ところが物心ついてその悲惨さとご家族の悲しみを知ってからは、思い出す度に胸が締め付けられるようになっていた。

戦争体験者が少なくなって戦争の怖さ虚しさ愚かさを伝えることが次第に難しくなっている。なんとか多くの若い人達に分かってもらえれば有り難いのだが・・・。